チラシの裏

何が何だか

おひさしぶりの

2021年は日記を書くひとになる。

そんな誓いを胸にして、胸にしたまま飛び出していくこともなく半年が経った。

半年間、何をしていたかというと何もしていなかった。ゆきずりの人間と手を取り合って、その場限りの勢いと感情に身を任せて踊るがごとく、何かにハマり、静かに冷めていく、刹那を繋げるだけの時間を過ごしていた。オタクである。たいへんに、オタクであった。

つまりオタクの日記を書こうとしていた。キャラクターの絵が描かれた板ことアクリルスタンドが我が憩いの四畳間にやって来たこと、おまけにこれまで私の人生に縁が無いものであろうと思ってきた人型のぬいぐるみをとうとう買ってしまった、そんなことをつらつら書き記そうとしていた。ぬいぐるみは作者監修だけあって、視界の隅に入っただけでもフフッとなる見事な出来栄えだ。

しかし連日のニュースが伝えるシビアな現実を前に、オタクの日記を書いてる場合か? そんな気持ちに苛まれ、浮ついた気分はつるつると意識の外へと流れ落ちていった。

その内に、何かを語りたいという欲も消えていった。

煙草を吹かし、海を眺め、時折頭上に影を落とす鳶を見上げる。気まぐれに旅に出ることも出来ない状況に意識を縛られ、いつの間にか空想の中ですら何処にも行けない状態になっていた。

胸の虚ろを埋めるように、半畳ほどのベランダに鉢植えが増えていく。萎れて枯れると、新しい鉢を置く。バラ、クチナシ、ミント、松葉牡丹に木瓜に椿。一部を除いて鉢は絶え間なく入れ替わり、季節ごとにベランダの色も匂いも変わっていく。

いちばん最近やって来たのは睡蓮だ。でかいバケツに水を注いで、メダカを放った。生温い水の中で褐色の葉がゆるやかに開いて、太陽の光を浴び、緑色へと静かに変わる。

水面を埋めて揺蕩う丸い葉を眺めながら、これからどんな日記を書こうかと、そんなことを考えている。